やさしく中指を立て続ける

娘と一緒の帰り道。近所のおばあちゃんが話しかけてきた。

そのおばあちゃんは、よく挨拶しあう仲だった。先週地震があったときに優しく声をかけてくれて、「困ったらうちに来なさいね」と言ってくれた人だった。その言葉にどれだけ安心したかわからない。

その日もいつものように近寄って声をかけてくれたのだけど、でも、いつもとちょっと様子が違っていた。

「この間、お父さんと娘ちゃんが一緒に帰ってきはるところを2回も見たけど、お母さんはよく遅くなるの?」と聞かれた。「はい、遅くなるときもあります」と言ったら「よくないわよ〜!お母さんが〜!娘ちゃん寂しいでしょう」と返された。

正直こういうのはよくあることだった。(直接的にここまで言われることはなかったけど…汗)わたしが彼女を産んで7年。わたしはずっとずっとこういう言説にさらされてきた。特に京都に来てからは顕著だったかもしれない(京都の皆様ごめんなさい、主観です!)「ご心配いただいて、ありがとうございます。でも、うちは大丈夫なんです。」と返した。

すると突然、隣にいたむすめが、「ぜんぜん大丈夫やねんで!」と言った。おばあちゃんはそれを聞いて目を見開いたあと、娘を憐れむような目でうんうんとうなずいた。

家に帰ると、娘が目に涙をいっぱいためて泣き出した。何も言えずにひととおり泣いたあと、だんだん言葉が出てきた。

「おかあさんが悪く言われたんがいややった…。」

「◎◎はぜんぜん大丈夫なのに。お父さん好きやし。お父さんいるもん」と言って泣いた。最後は「お母さんはキボウを持てるシャカイをつくるために仕事してんねんで、なあ!」と言ったので笑った。(※DxPのビジョン笑)

「おばあちゃんは、外から見てるから、大丈夫だってことがわからないからしょうがないよね。でも◎◎は大丈夫なんだね、お父さんもいるもんね」と言うと、「うん、お父さん好き!」と言ったのでまた笑った。

小学2年生だ。

いままでは、こんな言葉にさらされてきても、わたしが笑ってスルーすればよかった。でも、もう彼女はオトナが何を言ってるかよくわかってる。彼女が子どもを生むかどうかわからないけど、彼女はこれからお母さんになるかもしれない。わたしだけがこの言葉にさらされてきたと思ってたけど、もう既に彼女もさらされているのだ。

私はあのとき「でも、うちは大丈夫なんです」とちゃんと言っといてよかった。やさしく中指立てといてよかった。価値観は違くてもわたしはあのおばあちゃんと一緒に共存したい。あの地震の時に声をかけてもらえて、わたしはほんとうに嬉しかったんだ。でも一方で、あの価値観のなかで未来の娘に子育てさせたくないからスルーもしたくない。

ただひたすらに、やさしく中指立て続けよう。